0-2 置き去りにした感情

 小規模な母の葬式にも父親は顔を出さなかった。葬式くらいは顔を出すだろうと思っていたから、これには流石に面食らった。しかし実際彼の姿を見たとして、自分が冷静でいられたかどうかも分からない。母の様子を思い出して激情に駆られてしまうかも分からないのだ。だから結果的にこれで良かったのかもしれないと思った。
 しかしここで問題となったのは私達兄弟を一体誰が引き取るのかという事だった。元々母と父とは駆け落ちも同然に結婚したようで、そんな二人の子供を好きこのんで引き取ってくれるという人が都合よく存在する筈もなかったのだ。家の詳しい人間関係なんて知りもしないし興味も無かったけれど、流石に先が見えないという状況は堪えた。誰も名乗り出ない、そして残された遺産もそうない。中卒で働かなければならないのかもなあ、と考えて始めていたそんな時、一人、私と同じ「」の姓を持つ人が私たちを養子として引き取りたいと申し出てきたのである。
 彼女は私の従姉妹であり、昔から機会のあるごとに遊んでくれた「お姉さん」で、そして私がずっと尊敬していた人だった。彼女は若くしてある分野で成功を収めており、まだ二十代でありながらかなり財産のある人だった。しかし彼女もまたの家の中では遠巻きに見られていた存在であって、その関係で母が亡くなったことも伝わるのが遅かったらしい。私も、彼女の連絡先は知らなかったから連絡出来なかったのだ。
 すぐに気づけなくてごめんね、と彼女は言った。そして困惑している親族達には、自分が引き取ると断言して、そして既に用意してきていたらしい書類などを突きつけて追い返した。あっという間の出来事だった。そして家族は私と弟と彼女の3人になった。
 彼女は私達に選択肢を提示した。一つは彼女の住んでいる東京に移り住むか。以前東京には住んでいたし、また幼馴染みである周助も東京に住んでいるから、東京に行くということに関して不安はない。二つ目は、神奈川に留まるか。彼女は仕事の都合上、東京から離れるというのが難しい。それに多忙な人だから、私達が神奈川に留まるとなると、本当に彼女と会う機会というのは彼女の予定次第となってしまう。よくよく話し合って決めて欲しいな。彼女はそう言った。彼女にしてみれば自分の目の届く東京に移り住んで欲しいのは山々だったろう。もし神奈川に残ることを選べば、それはお金の出資だけして後は放置しているのと何ら変わりが無くなってしまう。折角引き取った以上出来る限り一緒に居たいと考えているはずだ。そして彼女にはそうする資格がある。それでも彼女は私達に選ばせてくれた。

 正直どうしようかと思った。その当時中学3年であった私が仮に卒業と同時に立海と離れたとしてもおかしなことではない。そしてその時ある葛藤の中にいた私は、このまま逃げるように東京に引っ越しても良いのでは、と思ってしまった。それでも、弟の新はまだ入学したばかりだ。新は立海での生活を楽しんでいる。それをまっさらの状態からもう一度はじめてくれ、とは、私には言えなかった。私に勇気がなかっただけかもしれない。でも、私は弟に嫌われるようなことをしたくなかった。弟は大事な、私の少ない肉親であったから。

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