2 思考の先にあるものを

は男子の中でも中々に人気のある女子生徒だ。何と言っても可愛いし、気さくな性格で男女問わず話し掛けやすい。成績優秀で毎年学級委員長を担っている点においては人によっては取っつきにくい印象も拭えないようだが、それでも彼女は明るい性格であったために、誰彼問わず親しみやすいというのが通説である。中学時代は他の女子から反感を食らっていたこともあったようだったが、それも他人から聞いた話であってブン太本人が聞いたのではない。まあ、彼女のスペックだけを聞けば嫌みな人間だと言われても仕方のないような気はしている。
 しかし丸井ブン太の評価はその辺りの男子とは少し異なるものだった。彼は中高と立海テニス部に所属し、そして幸村とはまた違った方向性での人気を誇っている存在であり、故に女子に告白されたり、恋愛関連でいざこざがあったりというものも多かった。その中で徐々に人、というか女子を見る目というものが育っていった訳だが、彼が見るに、はある種「計算され尽くした人間」なのである。年頃の女子となれば多かれ少なかれ外見を気にしていて、どうすればよく見られるかを考えて行動していることだろう。ことについて言えばかなり気にしていたとブン太は推測している。とはいえ彼女は生真面目にも校則をしっかり守る人間だったために、スカート丈を短くするだとか、隠れて化粧をするだとかそういったことはしなかった。その辺りはあの真田ですら評価していた程だ。しかしブン太が彼女を計算されているものと思ったのは、遠目から彼女を観察していた時に違和感を覚えたからである。品行方正と言うのであれば、多分に偏見を含むかもしれないが、大抵の人間は化粧っ気もなく髪型も下の方でお下げにしているか頭の後ろで括っているかであろう。それが何を隠そう彼女はツインテールなのである。しかもそのツインテールがいやに似合うこと似合うこと。流石に高校生となれば、どことなく子どもっぽく見えるツインテールは遠慮されがちである筈が、は中学から高校までずっとツインテールのままできた。時折、体育の授業等でポニーテールにしていることもあり、そちらも似合いはするものの、矢張りツインテールの彼女が一番見ていて安心するし、可愛いと思わされる。その辺りを、ブン太は妙であると感じたのだ。そう考えると、彼女のことを見ている人が話しかけやすいよう上げられた口角も、言葉の端々から感じる相手への気遣いも、全部おかしな位におかしくないように思えてくる。何も彼女本人に「お前のそれは計算なのか?」だなんて聞くことはない。そして勿論彼女が「私は全部考えを巡らせた上でやっています」だなんて言ったわけでもない。それでもブン太は彼女について問われれば、彼女のそれは計算し尽くされていると――表立って断言することはないとしても、確信を持ってそう思うことだろう。
 どうすれば自分が可愛らしく見えるか? 恐らく彼女は考え意識的にそれを行っている。しかし彼女と話すことがあればそれが自然だと信じさせるような細かい配慮もある。過去にブン太同様に対して不信感を抱いていた人間が彼女と話したことによって全く意見を変えてしまった時には、思わず影響されそういうものかと一時思ってしまったこともあった。しかし見れば見る程、違う気がしてならないのだ。
 まったく質が悪い――そうは思うが、ブン太は彼女を否定しようとは思わなかった。それは彼女が、その自分の可愛さを決して鼻にかける等といったことをしなかったからであり、ただ一人の人間へ直向きにアタックし続けることもまた、見境なく顔のいい男に媚を売りすり寄っていく女子に比べればよっぽど品があると思ったからである。何故そうしているかまで考えない、しかし考えなくとも、好意を持つ意相手には良い格好で見られたいものだろうと、ブン太は見当をつけている。

「仁王先輩、今日は部活に出てる!」
「ああっ! 幸村君、今日も格好いい」

 思えばフェンスを握りしめて声援を送る女子達の中に、彼女の姿を見たことは一度だってなかった。彼女は他の、立海内で非公式に存在するという所謂「ファンクラブ」には所属していないらしく、またそこに所属している彼女たちのように何かにつけてテニス部に関わってくることもない。だから練習風景を見に来る顔ぶれに彼女のものはなかったし、大会にだってその姿を見掛けたことはない。そこでまず、大半を表す意の「普通」ではないと思った。ファンクラブに混じらずに応援するというのであれば、きっと他の女子の中にだって内心で応援している生徒も居たはずでだ。けれど彼女は幸村に対して真っ正面から応援の言葉を投げかけていた。内気という訳でもなく寧ろ正反対なのだから、ファンクラブに混じっていたって不思議じゃない。けれど、そこに彼女はいない。何の思惑があって彼女たちに混じらないのか、彼女と親しいわけでもなかったブン太には想像するしかできない。ただ単に彼女たちとは肌が合わなかったのかもしれないし、彼女は寧ろファンクラブの方から煙たがられていたという話もあるようだから、そもそも入れてもらえなかったのかもしれない。しかし想像するにも彼女との接点という接点などないに等しい。例え中学から高校まで一緒の学校に通っていたとしても、全く話さない人間というのは存在するし、それがブン太にとってのであった。それでも接点がなかったが故に、かなり客観的に彼女を見据えることが出来ていたのだろう。だからこそ彼は「計算され尽くしている」と思い至ることが出来たのだ。

 しかし、彼女の全てが計算尽くに見えるブン太にも、彼女の行動で一番不可解かつ印象的だったことがある。春から夏にかけて、そろそろ衣替えのシーズンだろうかと感じ始める暖かいと暑いの中間の日。高校1年の時だったと思う。ブン太は歩いている時方々から貰ったお菓子を抱え込んで、2階の空き教室からぼうっと中庭の方を見下ろしていた。丁度その日は行事ごとがあって学校は半日、午後は目一杯部活というスケジュールで、何もない生徒はそろそろ帰宅し終わった頃だろうか、とそんな頃合い。その他部活のある生徒は各々昼食を取っている時間で、ブン太も例に漏れず抱え込んだお菓子の上でもぐもぐとお弁当を租借していた。いつもだったら誰かしらと一緒に昼食をとっていたが、今日はたまたま居座っていた空き教室から、丁度反対側の校舎の方で中庭の花壇を整備する幸村の姿が見えた。そこで折角だし、別に疚しくもないし、とそのまま幸村の観察を続ける事にしたのだ。
 それにしたってまあ、本当に植物好きだよなあ、幸村君。入院するときもかなり花壇の心配してたし。何か立海の花壇は幸村君の花壇みたいな所あるし。花壇の王者とか? 駄目だ洒落で済まされない。じっと見ていても幸村の位置からではよくよく此方を見てこない限り、暗い教室内でのブン太の姿は認知できないはずだからと高を括りつつ好き勝手に考えていたその時、ブン太の視界に映り込んだのが、だった。部活動には入っていないらしい彼女がこの時間まで残っているということは、何か教師に頼まれた帰りなのだろうか。鞄を手にしながらブン太よりの校舎にそって歩いている。そこで遠く、花壇をいじる幸村の姿に気がついたのか、彼女は幸村の方を向いて歩を止めた。

「ゆっ……」

 風に乗って此方に届いてきた音は、恐らく幸村の名を呼ぼうとしてのものだったのだろう。しかし声を掛けようとして、彼女は口を噤んだようだった。そして暫くじっと花壇を手入れする幸村を見つめた後、何も言わないままくるりと踵を返して立ち去っていってしまう。
 ずじゅる、るる。紙パックジュースの残りをストローで吸い込みながら、丸井はその一部始終を黙って見下ろしていた。飲みきるとそのままストローを噛んでパックを宙吊り状態にする。絶好のチャンスだろい、あれ。パックをぷらぷら揺らしながら、相も変わらず土いじりをしている幸村を見つめる。ああいう場面ではこぞって幸村の手伝いをしてポイントを上げるものじゃないのか。しかも今なら二人っきりで親密度を上げるチャンスだ。自然に幸村と会話が出来たかもしれない。しかし、彼女はそうしなかった。見た限り最初はきっと、いつもの調子で幸村を見かけたから声をかけようとはしていたのだろう。第一声を発して、そして――どうして、思い留まった? 話し掛けると、何か不都合が生じたのか、それとも彼女を思わず引かせる雰囲気を幸村が放っていたのか。後者はあり得ないだろうとブン太は見当づける。今の幸村はこの位置から見て特に不機嫌そうでもなく、多分機嫌良く手入れをしている。鼻歌を歌い始めてもおかしくない。丁度今幸村が花壇の裏側に回って顔がこっちを向いたけど、心なし口角も上がっている。本当に植物が好きなんだなあと誰が見ても分かるくらいに。じゃあ、何故。何故は去って行ったのか? 後者じゃないなら、一体どんな不都合が生じたというのか。いつもと今で違う部分。彼女はいつも、どんな時に彼に笑みを向けていたか。そこでふと気付くこと。そういえば彼女が、二人きりで幸村と話をしていたという噂は聞かない。いつも彼女は、誰かしらが周りに居るときだけ、しかもほんの僅かな時間、一方的に話し掛けるだけ。決まって、挨拶か、応援の言葉を投げかけながら。
 すると今回彼女は、今話し掛けると幸村と二人きりになってしまうから話し掛けなかったのだろうか。二人きりでは何がいけないのか。さあ、分かんねえ。これ以上考えても分かりっこないと思ったブン太はパックを潰すと、いつものグリーンアップル味のガムを取り出して口の中に放った。ぷくり。膨らませて、萎ませて。幸村の方を見れば、どうも花壇の手入れも終わったようでスコップなどを片付け初めていた。
 こっちに向かってくるのを見届けて窓枠に腕を乗っけながら身を乗り出していたら、流石に気付いたらしい幸村がブン太をみとめるなり笑顔を向ける。その頬には手で擦ったのだろう、土が付いているけれど、彼だと泥臭さを感じない。

「そんなところで何を見ているんだい? 丸井」
「ん、幸村君、さっき」

 がさ、と口に出そうとして、やめた。そういえば彼の前でのことは口にしないというのが暗黙の了解となっていたのだ。それは以前、誰かがの話題を出したとき幸村の機嫌が悪くなったことに起因している。あれも随分前の話だから今はもう彼の心境にも変化が表れているかもしれないが、態々自分の身を危険にさらすようなことは誰だってしたくないだろう。以前機嫌が悪くなったときは酷かった。練習相手とか一瞬で五感奪われて死んだ魚の目してた。自分がそうなりたいとは天地がひっくり返っても思わない。この話題は出さないに限る。

「やっぱ何でもねーや」

 へえ、そう? と笑みを崩さないままの幸村に、そう、と頷いてまたガムを膨らませれば、そのガムに隠されて幸村の姿が一時だけ視界から消える。
まあきっと、この5年間も縁がなかったのだから、残りの1年も縁のないままに卒業することになるのだろう。彼がそう結論づけるから、丸井ブン太は明日もきっと、とすれ違うだけなのだ。

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