0-1 あなたが私を愛しますように

 私の母には生涯を通して愛し続けていた人がいた。それは所謂、彼女の元夫であり、また私の父親として位置づけられる人間であった。生涯を通じて、というのはまさしくその通りで、母は父を死ぬまで愛し続けていた。慈愛に満ちた表情で私と弟とを育ててくれた母を私もまた愛していたし、同時に尊敬もしていた。母は贔屓目に見ても非常に優しい人だったと思う。そして優しさ故に、要らない苦労までも背負い込むような人だった。
 父がどんな人だったのか、私はあまりよく覚えていない。忙しい人だったということは覚えている。と言うのも、家に帰ってきているところをあまり見なかったから記憶という記憶が多くないのだ。だから私の記憶の中の父とは、常に写真の中の父でしかない。写真がなかったら思い出しさえしなかったのかもしれない。その程度の、存在。
 けれど母は父と別れた後もずっと父のことを想い続けていた。そのことを私はよく知っていた。母は私が知らないと思っていたのだろうけど。彼女は父親の残していったものを何一つ捨てなかったし、思い出は全て抱え込んで大切に仕舞っているようだったから。
 私はそんな母が悲しかった。私が母を愛するのでは、母には足りないのか。そんな風にも思った。だって満たされているのならばそんな未練がましいことしないだろうに。そして同時に、父を憎いと思った。こんなにも母が愛しているのに、と確かにそれもある、でもそれだけじゃない。人が誰かを愛するのは勝手なことで、それが一方通行なんてままあることだ。だからそんなことじゃない。私が父に抱いた憎しみとは、何故母のその愛に応えていながら母を見限ったのか――それに尽きた。

 私が小学校を卒業する少し前に父と母が離婚してから、母は一人で家計を回すようになった。東京から神奈川に引っ越すことになってからよく働き、そしてよく家族に寄り添う彼女は目に見えて痩せていったし、時折不健康そうに見えた。私は少しでも母の負担を減らそうと、テニスをやめた。時間が惜しくて部活には入らなかった。学校が終わればできる限りさっさと帰って、家のことをやろうと思ったから。そうしたら買い出しで頭を使うためかお金に強くなったし、料理も上達したし、裁縫も出来るようになったし、更にきっちり時間の管理をするようになってからは勉強する時間も増えた。成績については、奨学金や授業料の免除が不可欠だったから、妥協するわけにもいかなかった。
 弟にまでそれを強いるつもりはなかったから、彼には自由にして欲しかった。彼が中学に上がる時には私の代わりに好きなことをやって、と半ば命令する形で頼み込んでいた。すると弟は分かっているのかいないのか、テニス部に入部した。本当に彼がやって欲しいことをして欲しかったのに、私には彼が、私のしたかったことを代わりにやってくれるとでも言われているような気がして、申し訳ない気持ちになった。でも絶対に顔に出すことは出来なかった。出したらきっと、そんなつもりじゃないと言って怒ることが目に見えていたから。

 弟はテニス部に入部してから幸村君達の話をよくしてくれるようになった。今日はどんなことがあったとか、どんな練習をしたのだとか、どんなことを思っただとか。テニスを始めると言い出した時にはびっくりしたものだけど、楽しそうにテニスの話をしてくれるからほっとした。けれど懸念があった。それは私と弟の関係性についてだ。私の学校での行動は二つ下の学年にも広まっているのだろう、どうも私の陰口を言う人は弟の学年にもいるらしく、弟はそのことについてご立腹のようだった。弟は私のしていることを入学前から把握していたために、その私の行動について苦言を呈することはなかったけれど、私に関わることで弟が迷惑を被ることになるのは嫌だった。そこで学校では極力接触しないようにしたものの、弟が学校での私を見る目は結構……いやかなり嫌そう、というか怪訝だ。まあそうだろうなとは思う。学校で頗るハイテンションの弟を見たら私だって引く。私だって別に学校にいる時いつでもハイテンションな訳が勿論ないのだけど、弟が視界に入る時というのが、必ずと言って良いほど私が幸村君に声をかけている所だった。確かに幸村君に話し掛けている時の私は自分に出来る応援を最大限にまで高めようとベストを尽くしている状態だから、自分でも客観視した時にそこまでやるなんて馬鹿なんじゃないかって思う。けれど馬鹿らしいからこそ、ある意味成功している面が多々あったのだ。

 そんな中、母が死んだのは中学3年の秋のことだった。3年のはじめに入院して、あっという間に死んでしまった。涙は出たけれど、それは多分、母がいなくなったことに対してではなかった。いなくなることはもう、医者に母の病状について告げられた時から覚悟していことだから。母がいなくなって悲しい気持ちにならなかった訳じゃない。悲しいに決まってる、いなくなってなんか欲しくなかった。けれどずっと母を見続けていて、母に寄り添ってきて、私はその時気付いてしまった。


 断言してもいい。私は、母のその愛が報われないままに終わったことが、きっと何よりも虚しかったのだ。

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