星を見る人 - 冬


 葛之葉雨彦は掃除屋である。デッキブラシを片手に依頼とあれば直ぐ馳せ参じる、そんな掃除屋だ。
 と言っても、ただの掃除屋ではない。勿論文字通り掃除もするが、それ以外の「掃除」も請け負っている。こういう言い方をすると変に勘繰るのも居るが、まぁ、不浄なものを清浄な状態へ戻す。それが彼の仕事であり、家業でもあった。

 ――初めて「彼ら」と出会ったのは、雨彦がテレビ局で掃除の仕事をしていた時のことだ。珍しく清浄な空気を纏った奴が歩いてくるな、と廊下の先に見えるスーツ姿の女を捉えて、思わず笑みが浮かぶ。清々しい気を纏った人間を見るのは気分が良い。しかし、すぐにその後ろにいる存在に気付いて目を細めた。
 女の後ろには、ある男の姿があった。それだけなら何も不思議なことではない。しかし何より雨彦が見逃せなかったのは、彼が既にこの世のものではなかったからである。
 背後霊、という言葉がある通り、特定の人間について回る存在は決して珍しい存在ではない。大体はその対象を守護するためについているが、この男は……。
 彼女とすれ違うまでじっと様子を見ていたが、そろそろすれ違う、と思ったその時、不意に女が雨彦の前に立ちふさがった。

「お仕事中すみません。今お話しても宜しいですか? 手短に済ませますので」
「あ、ああ」

 まさかあちらから話しかけてくるとは思ってもみなかった雨彦は面食らった。そして彼女の何処までも真っ直ぐな青い瞳に目を奪われる。思わず頷けば、女は肩にさげていた鞄からまず銀色の名刺入れを取り出した。

「私、315プロダクションのプロデューサーをしております、降谷と言います」

 差し出された名刺を受け取れば、成程今名乗った通りの情報がそこには書かれている。そのプロデューサーが一体雨彦に何の用か、と次のアクションを待っていると、彼女は再び鞄を漁り、今度は何かリーフレットの入ったクリアファイルを取り出して雨彦へ差し出す。

「新アイドル発掘オーディション?」
「はい。現在315プロダクションでは新たなアイドルを募集しています。あなたにはアイドルの素質があると感じました。是非、オーディションに参加していただきたくて」

 「アイドルの素質がある」という突拍子もない言葉に思わず笑いそうになるが、そこで視線を感じて少しだけ彼女の頭上へと目を動かした。
 ――随分、この降谷と言う人間に執着があると見える。
 視線の主は、先程から女の斜め後ろを浮きながらついてきている――黒髪でつり目がちな、無精髭を生やした男だ。男は女の後ろで腕を組み、無遠慮にも雨彦を見定める様にじろじろと観察してくる。雨彦も特に目つきが良いほうではないが、男は顔立ちも相まって、こちらを睨んでいる様に思えた。まるで、好きな女が他の男と話すのを牽制するかのごとく、だ。
 再び笑いだしそうになったが、寸での所で自らが置かれた状況を思い出す。漸く視線を降谷と名乗った女が差し出したリーフレットに戻せば、局内で見た顔もちらほらあった。彼らが彼女の芸能事務所のアイドルたちなのだろう。しかし何で自分なんかに声をかけたのか。自分じゃなくても、顔がいい連中なんざごまんと居るだろうに。
 そんな雨彦の考えが伝わったとでも言うのだろうか。

「突然声を掛けられて驚かせてしまったかもしれません。でも、あなたにはアイドルの素質があると思うんです」
「そう思う理由を聞いてもいいかい?」
「……あなたはきっと、誰かの奥底に眠る光を見つけられる人だと思うので」

 少し照れ臭そうに頬をかく女に、雨彦はやや感心していた。自分が何かと見逃せない性分なのは自覚しているが、それをそのように表現されたのは初めてだった。それを初対面で見抜いてくるとは、なるほど、確かに人を見る目はあるのかもしれない。だからと言って自分の様な人間をアイドルにスカウトしようというのだから中々物好きな人間だと思う。雨彦は、少しだけ口角を上げた。

「そうだな。少し、考えさせてもらってもいいか」
「もちろんです! アイドルと言う仕事について疑問があれば、何でも質問してくださって構いません。あ、詳細と事務所の連絡先も此方のリーフレットに書かれてますので」
「ああ、助かる」

 ふと、間を感じて雨彦が顔を上げると、彼女は真っ直ぐに此方を見ていた。目が合うと、ややたれ目な目元がふっと緩められる。

「ご連絡、お待ちしてますね」

 こうして雨彦は「彼ら」と別れ、再びテレビ局内を歩きだす。正直、彼女の言葉に驚いた勢いで受け取ってしまったリーフレットではあるが、どうしたものか。
 そこでふと気が付いた。テレビ局は雨彦が掃除するに値する穢れに溢れているが、何も自由に歩き回れる訳ではない。その日限りの入構証を首からぶら下げてはいるものの、関係者ではないからと立ち入れない場所も多い。しかし、もしアイドルになったらどうだろう? もしかすると、そういった今の雨彦では手が出せない穢れも、掃除することが出来るのではないか。

「悪い話ではない、か」

 雨彦は、札の張られたデッキブラシを肩に乗せると、少し人の悪そうな笑みを浮かべたままテレビ局の更に奥へと消えていった。

 因みに、彼女の後ろの男は最後まで納得いかなそうな顔で雨彦を見ていた。

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