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 子供の頃から、よく見る夢がある。

 それは毎度同じ夢ではないが、同じ人物が登場する夢だ。金髪で、青い瞳の少女が。
 そいつは色彩こそ日本人離れしていたが、顔立ちはそこまで極端ではなかったから、ハーフなのかもしれない。僕と同様に。まあ、夢の中の話ではあるが。

 はじめて彼女と会ったのは小学生の頃、容姿のことでからかわれて同年代の子供と喧嘩した日の夜だった。気付けば小さな植物園のような……温室のような場所にいた僕は、白いワンピースを着てにこにこと手招きする少女と出会った。年の頃は、当時の僕と同じ位。
 跳ねるような動きと共にふわふわと翻るボブの髪に目を奪われている内に、案内されたのはテラスのような場所だった。少女は白いガーデンテーブルセットまで歩を進めると、椅子を引いて僕に座るように促した。穏やかな光の差し込むその場所で、少女は危なっかしい手付きで紅茶をいれる。
 ぼんやりとした頭で僕の前に置かれる茶器を眺めていると、どうぞ、と声がする。顔を上げると、少女がテーブルの正面へと回り込み、席に着くところだった。
 紅茶より、緑茶の方が好きなんだけど。
 別に悪態をつくつもりはなかったのに、僕の口から出たのはそんな言葉だった。少女は虚をつかれたような顔をしたが、直ぐにむっとした表情を浮かべた。

「でも、紅茶だって美味しいよ」

 驚いた。あんなにもにこにこと好意的だった少女が、急に食ってかかるから。勿論そうさせた原因は僕の発言にあった訳だが、当時の僕はずっと幼くて、言い出したことを引っ込めるのは難しいことだった。

「紅茶より、緑茶の方が美味しいだろ」

 思わず強く言ってしまったと気付いて彼女を窺うと、顔を俯けて黙り込んでしまっていた。あの時は慌てた。けれど意地を張った手前、容易に謝ることも出来ない。少女はか細い声で、此方へと手を伸ばしてきた。

「好きじゃないもの、出しちゃって、ごめんなさい」

 その手がカップに届く前にーー僕は、奪うようにカップを手に取ると、その中身を一気に飲み干した。
 と、余りの熱さにゲホゲホと咳き込む。少女は驚いた様に顔を上げ目を見開いていたが、慌てて立ち上がってーーどこにあったのか、水を差し出した。
 それをありがたく飲み干してから、心配げな顔を見返す。

「……別に、好きじゃないとは言ってない」

 瞬きをぱちりと一つ。好きじゃない、わけじゃない。と言葉を噛み締め様に繰り返した少女は、再びぱっと笑顔を浮かべた。あの瞬間、確かにほっとした自分がいたのを覚えている。

「そう、なら良かった!」

 その笑顔をずっと見ていたいと思ったし、揶揄われたことなんてどうでも良くなっていた。

*

 次に彼女と会ったのも、矢張り温室のような場所だった。巨大なガラス張りのドームに包まれた其処は湿度が高く、やや暑さを感じることもあった。しかし彼女を目の前にすると不思議と温度は気にならなかった。
 白い丸テーブルと二つの椅子。初回にも見た其処へと歩を進めると、予想通り彼女がにこやかに待っていた。その日は、白いワンピースに黄色のカーディガンを羽織っていたと記憶している。
 勧められるままに席につくと、彼女は何もない所から茶器を取り出した。
 今回も紅茶だろうか、と思えば、なんと目の前に置かれたのは急須と湯呑み。やや危なっかしい手つきで注がれる液体の色は緑。鼻腔を擽る香も、それが緑茶であると主張していた。
 驚いて彼女を見つめると、彼女は照れたように肩を竦める。

「……きみがあまりにも緑茶が美味しいって言うから、私も色々試してみたの。確かに、うん。緑茶もおいしいね」

 驚いた。彼女は、あの暴言にも似た言葉を真に受け、更に自ら試したのだという。それを理解した途端、途轍もない罪悪感と幸福感に襲われた。
 何も言えなくなり湯呑みに手を伸ばす。注がれた緑茶は僕の好みの香りがしていた。一口飲んでーーー熱い。苦い。
 表情に出ていたのだろうか、彼女は僕の顔を見て目を丸くすると、自分も緑茶を飲んだ。そして首を傾げて、言う。

「どの位が正解なのか分からなくて」
「少なくとも、これは苦い」
「うーん。うーん、そうなのかあ」

 難解だ、という顔を崩さないまま緑茶を見つめる様が可笑しくて笑ってしまうと、彼女はむうと眉根を寄せた。

「大体、茶葉どの位入れたんだよ」
「この位?」

 かぱり、と急須の蓋を開けて中身をこちらに見せてくる。そこには、とても二人で飲む量じゃない茶葉が水を吸って膨れていた。想像以上の量に絶句する。これでは苦くもなる筈だと呆れた。

「この半分でも十分すぎるくらいだ……」
「なるほど」

 神妙に頷いた彼女は再度急須に蓋をした。

「いっぱい入ってた方がいいのかと思ってた」
「紅茶でも同じこと言うつもりか?」

 少女は虚を突かれた様な顔をすると、合点がいったのか「確かに」と何度も頷いてみせた。本気でそう思っていたらしい。最初に彼女に差し出された紅茶の味はどうだったかを思い返してみたが、そういえば熱さで碌に味を覚えていなかった。彼女の紅茶の味を知らないのはなんだかもったいない気がして、もぞもぞと両手を弄ってしまう。ちらりと彼女のほうを見上げてみるが、彼女はこの上なく苦い緑茶を飲み干す活動に勤しんでいた。

「紅茶」
「え?」
「紅茶、今日は淹れないの」
「飲んでくれるの!?」

 少女はぱっと喜色を浮かべて身を乗り出した。その勢いの良さに思わず身を引いてしまう。

「の、んでもいいけど」
「そう、ふふ、そうなの」

 一気に機嫌が良くなったらしい彼女は、またどこからかティーセットを取り出した。取り出すときに何かしていることは分かるのだが、何故かその瞬間の記憶がいつも朧気になっている。
 白を基調とし、淵が金に彩られたティーセット。前回も見たそれにいそいそと紅茶を注ぐ少女をぼんやり見つめる。白いテーブル、白い椅子、白いティーカップに、白い服を着た、彼女。陽光の中で髪を煌めかせる様子に、少し眩しいかもしれないと、と目を細めた。相変わらず紅茶を淹れる手つきは危なっかしいが、紅茶が好きなのか、紅茶を淹れるのが好きなのか、或いは誰かと紅茶を飲むのが好きなのか。頬杖をついて眺めていると、注ぎ終わった少女が矢張り楽しそうにティーカップを差し出してきた。受け取って注がれた液体を見下ろすと、そこには思っていたのとはやや違う色があった。

「ミルクティー?」
「そう。前回は熱すぎだったし、きみはあまり苦いのも得意じゃないようだから……でも、アッサムはミルクティー向きの紅茶だから、きっと美味しいと思う」
「別に苦いのが得意じゃないって訳じゃない! さっきのが極端に渋すぎただけだ」

 子供扱いされたような気がして思わず言い返すも、少女はにこにこ微笑むだけだった。そんなに人に紅茶を飲んでもらうのが好きなのか。
 因みに味は、ミルクティーにしてはやはりやや苦かったように記憶している。

*

 彼女は度々夢に現れた。最初の方は夢を夢と認識出来ずにいたが、何度も彼女と会っている内に「ああ、夢の中なんだな」と分かるようになっていった。……いや、彼女が居るから夢と分かる、の方が正しいか。
 どういう法則で現れているかはあまり決まってはいなくて、連日現れる日もあれば、数ヶ月現れないこともあった。それこそ出会ったばかりの頃は僕が悲しい気持ちになった時によく夢に出てきていたが、年齢が上がるにつれてその法則性はなくなりつつある。
 出会った当初は少女だった彼女は、まるで僕の成長にあわせるように年齢を重ねていった。あまり考えないようにしていたが、もしかするとこれは僕の願望なのではないかとも思う時もあった。いや、僕の願望ではないと思うことにしているが。
 彼女との距離感は、時を経てもあまり変化はなかった。ただ、夢の中の登場人物にこういう表現をするのが正しいのかは分からないが、初対面の頃よりはお互いに気心の知れた関係になってはいた。筈だ。

 夢の中での彼女はいつだってあの温室にいて、柔らかい日差しの差し込むその場所で僕を待っている。席に着けば、彼女の気分で紅茶が出るか、緑茶が出るか。年齢を重ねるにつれて、彼女は紅茶も緑茶も、随分と美味しく淹れられるようになっていった。僕が中学に上がるころには茶菓子も出るようになって、傍から見ればお茶会と言っても過言ではなかったかもしれない。
 そこでは僕は何でも話せる気がした。実際はプライドが邪魔をして弱音を吐くことは少なかったが、それでもたまに吐き出した弱音を、彼女はただ静かに聞いていた。夢の中の彼女は聞くだけだ。助言も忠告も同意もない。でも決して否定もしない。何が気に食わなかったか、何が楽しかったか、何が苦しかったか。時に神妙に、時に楽し気に、時に憂いながら、彼女はひっそりと聞いていた。――ここが現実でないと分かっていたからかもしれない。僕は不思議なくらい、この場所では飾らずにいられた。

 そんな彼女と僕の間にも、暗黙のルールというものがあった。それは、「互いの名を問わない」というものだった。何故問われないのか、何故問わないのか、明確に理由がある訳ではない。ただ、夢の中には僕と彼女しかいないから、知る必要がなかったのだ。
 しかし、ここ数年は彼女と夢で会うことも少なくなっていた。丁度僕がとある組織に潜入しだしたころからだ。疲れるとふと彼女のことを思い出し、何故だろうと思ったが、よくよく考えれば以前よりずっと睡眠時間が減っている。単純に夢を見る機会が減ったのだろう。最後に彼女の夢を見たのは、いつだったろうか――。



*



 濃紺の空。一際に月が輝く夜。今は廃墟となったビルの屋上、フェンス越しの月影を背に浴びた彼女と相対する。
 ごくりと喉を鳴らす音がいやに大きく聞こえた。暗闇の中でも、彼女の輪郭は光を受けて淡く浮かび上がっている。こんな夜じゃなければきっと、これほどまでにまじまじと相手を見据えることも無かっただろう。彼女だと気付くこともなかったかもしれない。
 他人の空似かとすら思った。空似であれば良いとも思った。何せ彼女が身に纏っているのは、いつものあの白っぽい服ではなく、全身を覆う黒い服だ。彼女にそんな色は似合わない。ぞわぞわと背筋を覆う嫌な感覚に顔をしかめながらも、銃口は彼女から逸らせない。

 今日はバーボンとしての仕事だった。組織と利害関係を持つ宗教団体が、この頃妙な動きをしているという情報を入手し、その事実確認と処分を任されていた。概ね証拠は集め終わっていて、それらはこの宗教団体による組織の監視下からの逃亡を示していた。更に、この逃亡を教唆する存在がいるとの知らせを受け、その人物を追っていたのだが――追い詰めた結果が、この状況である。

「こんばんは、はじめまして。僕はバーボンと言います」

 指を添えた引き金もそのままに。いつでも撃てる状態であると分からない筈もないだろうが、彼女は逃げることも、怯えることもなく静かに佇んでいる。その瞳が何を映し、何を考えているのか、分からなかった。

「あなたが遠ざけたいと思っている組織の人間ですよ……さん?」

 これが、夢を見ない僕たちの"はじめまして"だった。

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