ペリドットは手放さない

 暗い茶髪に、黄緑の頭巾。全体的に緑系統で統一されたポケモンブリーダーである彼女の格好は、このカロス一の大都会である、ミアレシティにはどうにもそぐわない。要はやぼったいのだ。ミアレの人間は特に「スタイリッシュ」を重要視するため、その垢抜けてなさは顕著である。しかも今の彼女は加えて、何か土に関わる作業でもしてきたのか、全身埃まみれだしだ。しかし彼女はそんな事気にもとめず、堂々とした足取りで大通りを闊歩していた。
 手には重そうな籠が一つ。布がかけられていてぱっと見何が入っているのか判別し難いが、その中身は方々に生えるきのみだ。ずっしりとした重量のあるその取っ手を、彼女は苛立ちの滲む顔で握り締めている。笑っていれば穏やかで優しそうに見える顔立ちではあるが、彼女とすれ違う人が思わず振り返ってしまう程に、今その顔は、険しい。
 彼女の顔が険しいのにも、それなりに理由はあった。一つは、彼女の古い友人が自分を使いに走らせてきのみの採集をさせたということ。確かに長い付き合いではあるし、その位やっても良いのだが、研究に使うというのなら彼の所の研究員を使えばいいのに、と思ってしまうのだ。トレーナーでその上旅をしていたあの頃ならばいざ知らず、今は彼女も、そして友人である彼も、定職についている。やらなければならない仕事があるのだから、少しはこっちの身にもなって欲しい。友人には毎度そうやって怒るのたが、最後にはお茶とお菓子を出されて、有耶無耶にされてしまうのだ。上手く丸め込まれてしまう自分も自分だ、と彼女も思うものの、あの食えない友人も友人だ。
 加えて、今回はそれ以上に、彼女を苛立たせていることがあった。それには、最近誕生した新しいチャンピオンが関連してくる。彼女は、知っているし、見たのだ。友人とあのチャンピオンとなった少年のバトルを。そのバトルを見てしまってからどうにも、沸々と腹の底で湧き出すような何かがある。今日はそれを問いたださなければならないと思いながら此処まできたのだ。自然と、いつも以上に顔が険しくもなる。

 やがて彼女は、一つの建物に辿り着く。敷地の中に足を踏み入れる前に、彼女はぐいと顔を上げて、三階のある部屋の方を睨みつけた。暫くそうしていたものの、気が済んだのだろうか、彼女はフンッと息をついて、その建物――プラターヌポケモン研究所へと歩を進めたのであった。



 古い友人に、友人の住む近辺になっている珍しいきのみを採ってきて欲しい、と頼んだ。別段、私と友人の間柄では、それは稀ではない。寧ろ日常茶飯事と言っても良いだろう。その位私は、頻繁に友人に「お使い」と称して頼み事を重ねていた。
 その友人とは、私、プラターヌが博士として名を知られるよりもずっと前、子供の頃からの友人である。幼馴染み、と言っても良いのかもしれないが、そこまで幼い頃から友人であった訳でもなく、非常に微妙な関係性にあった。
 兎も角その友人、現在はポケモンブリーダーをしている彼女がもう直ぐ此処に辿り着く筈だ。きっといつものように、少し汚れた格好を気にもせず、ここの他の研究員達に若干迷惑そうな顔をされながら、苛立った顔でここまでやってくるのだろう。その姿が手に取るように分かって、笑みが零れた。



 ごつり、と厚い靴底が床を叩いて、その部屋にいた人間に来客を知らせた。いや、彼女が来たのはそれよりも前に分かっていた。それでもその男は、日のあたる窓辺から外を眺めるのを止めなかった。

「プラターヌ」

 静かな声が、ぼんやりと外を眺めるその男、プラターヌの背に掛けられた。青いシャツをはだけさせ、無精髭をそのままにしている姿はともすれば、だらしなくも取れる。しかし彼の持つ物腰やととのった容姿、そして雰囲気が、そのだらしなさをどこか色気のようなものへと変えていた。
 プラターヌはその声に白衣を翻すと、剣呑な目つきで己を見つめる、自分が予想していたとおりの女性と目が合った。やあ、。親しみの籠もった呼びかけにも、彼女はは不機嫌そうにプラターヌを見つめるだけ。プラターヌは小さく肩をすくめた。

「そ、そんなにお使い頼んじゃったのが気にくわなかった?」
「ちげーわよ馬鹿」

 普段できる限り丁寧な言葉遣いを 心がけている彼女にしては珍しく、粗雑な言葉が垣間見える。おや、これはもしかして相当、と内心焦りながらも、何とかして機嫌を直して貰えないだろうかと 思考を巡らせ始めた。
 しかし原因が特にそれ以外思いつかない。早々に降参を決めたプラターヌは、素直に何故そんなに不機嫌なのか、と尋ねた。するとははあっと盛大にため息を吐くと、「苛々するのよ」と言いながらプラターヌの方へと歩を進めて、彼に頼まれ持ってきたきのみの入ったカゴ些かを乱暴に机に置いた。

「あなたが……」

 そしてその流れのまま何かを言いかけて、そのまま言いよどんだ。何かを、言って良いのか、言わない方が良いのか。そんな風に逡巡しているように感じられた。プラターヌは彼女の眉間による皺を見つめて、ああ、綺麗な顔なのに勿体ない、とぼんやりと思った。

「あんまりに、言い訳がましくて、苛々するの」
「それは、どういうことかな」

 話が何処に進もうとしているのか全く分からない。言い訳がましい、それはどういうことだろうか。思い当たる節が、無い訳でもないが。先を促すプラターヌに腹を決めたのか、は少しだけ、苛立ちの他にその目に悲しみのようなものを浮かべて言った。

「この間、あのトレーナーの子、今はチャンピオンだったわね。彼と戦ったでしょう」
「ああ」
「バトルは得意じゃないとか言って、その割には三匹とも最終形態まで進化させて。プラターヌ、あなた何をそんなに迷っているの?」

 ああ矢張り、その話なのか。何となくの言いたいことを察して、プラターヌは曖昧な笑みを浮かべた。

 の脳内はきっと、こうだろう。
 かつてプラターヌは、ポケモントレーナーとして日々努力を重ねてきた。しかしある時、自分の限界に気がついてしまった。これ以上は、どれほど頑張っても、自分は頂点に立つことなんてとても出来ない。彼はポケモンを育てることは上手く出来ても、その力を上手くバトルに反映させることが出来なかった。だから、ポケモントレーナーであることをやめ、ポケモンを研究する方へと転向したのだ。元より要領がよく、頭の良かった彼は、ナナカマド博士に師事してから学会でもめきめきと頭角を現すようになり、今こうして、一地方を代表する博士にまで上り詰めた。
 しかし、彼は度々腕試しと称してあの少年にバトルを挑んだり、聞いた話では行く先々で助言をしたりしたというではないか。助言までは、将来有望なトレーナーに対する期待と取ろう。それでも、博士がトレーナーとバトルをするというのは前代未聞な出来事なのだ。
 恐らく彼女は、その事に関して、未だにプラターヌがトレーナーとして歩むことを諦められないでいるのではないか。それでいて、プラターヌがその感情をひた隠しにして、諦めようとしていることに、苛立っているのではないか。それが、プラターヌの見立てだった。

「迷ってなんかいないさ。現に僕は今、こうして博士としてカロスに名を馳せているだろう?」
「そうね、確かに、脇目も振らずに研究に没頭して、そうしてあなたは今の地位を得た。……でも、今のあなた、やっぱりどこか物足りないって顔をしているのよ!」

 話している途中で更に苛立ちが募ったのか、は腹立たしげに厚いブーツのかかとで床を蹴りつける。プラターヌはそれに気がつかないふりをしながら一歩とに近付いた。そんな彼の様子に気がついたものの、はそれでも足を引くこともなく、苛立った表情のままプラターヌが此方に歩み寄ってくるのを待った。

「昔も、こんな問答をしたかな」
「そうね。昔も私だけこんなに、腹を立てていたのよ。なのにあなたは飄々として、それがまた私の癪に障る」
「それは困ったな」

 プラターヌがはぐらかそうとしたのを感じ取ったのか、はむっとして目の前までやってきた彼の瞳を覗き込む。

「どっちも掴むくらいの気概を見せればいいのに、プラターヌはいつも、妙に諦め癖があっていけない」
「君はいつも、諦めるということに関して、とても嫌うからね」
「そういうことだけじゃない。わざわざ新しくポケモンを育てて、バトルまでして。それなのに、あなたが自分で認めないから腹が立ってんの! バトルしたいならすれば良いじゃない! くだらない前置きして逃げ場を作って、あなた何なのよ! もっと堂々とバトルだってすればいいのに」

 そこでは不自然に言葉を切って、閉口した。そうして笑ったままのプラターヌに目を細めたが、やがて疲れたように怒っていた肩をおろすと、これ見よがしに溜め息を吐いて帰るわ、と口にした。おや、らしくない、と思いつつ、プラターヌはお茶くらい飲んでゆけばいいのに、と声を掛ける。しかし、彼女はまだ仕事があるからと背を向けて歩き出してしまった。向かう先は、エレベーターだ。
 何だろうか、彼女らしくない。彼女はいつもなら、プラターヌがお茶を出すまで怒っていて、美味しいお茶とお菓子でなんとか宥め賺されて、それから渋々帰ってゆくのだ。最早恒例行事と化していたそんな時間をプラターヌは密かに楽しみにしていたのに、いったい何が彼女をそんな風にしてしまったのだろうか。いつもと、何か変わった事でも言ってしまったのだろうか。

「悪かったわね」
「な、何、が?」
「今まで口出しして。もうしないから」

 本当にそのまま立ち去ろうとしたを慌てて追いかけ、プラターヌはその手を掴んだ。

「待ってくれ、えっと、何を言っているんだ?」

 戸惑うプラターヌに、だから、と振り向かないまま、それでもはきちんと立ち止まってはくれた。

「私が口うるさく言うことまで諦められたら、もうどうしようもないじゃない」

 先程よりも疲労の色濃くにじんだ声に、プラターヌは眉を顰め、その目には一瞬だけ寂しさのようなものが滲んだ。しかし直ぐに何かに気がついたのか、徐々に笑みが広がっていった。

「もしかして、拗ねてる?」
「は!?」
 
 素晴らしい反射速度で勢い良く振り返ったの思いの外近い顔に驚きつつ、プラターヌはその笑みを崩さない。そればかりか、余裕綽々といった体で、「そんなに怒らないでよ。ほら、お茶飲んでいって」などと口にする始末だ。

「ちょっとプラターヌ、人の話聞いてた!?」

 そして再び憤慨し始めたににこにこと笑いかけながら彼女を来客用のソファまで誘導し、何食わぬ顔でお茶の準備を始める。こうなったら何を言っても聞かないことを知っているは、まったく! と頬を膨らませながら足を組んだ。
 そんなを横目で見ながら、プラターヌは見えないところで微苦笑を漏らす――こんな事も隠すことなくぶつけてくるのは位だ。そして、彼が何も言わない内に何でもかんでも見抜いてしまうのは。
それでも、この心内は話さない。話す必要もない。だって既に、一番分かって欲しい人物に理解されているのだから!

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