祝福が続きますように

 祝福が、確かに訪れていたことを、其処にいた人間であれば誰もが肌に感じていたことでしょう。
 どこまでも続く、雲一つ無いよく晴れた青空の日でした。風に乗って白い花弁が舞い上がる様は、空の深い青とのコントラストで印象的な光景を作り上げています。美しい、思わず溜め息の出るような光景ですが、今日に限っては主役はその景色ではなく、一人の控えめに笑う花嫁なのでした。

 それは宮殿の文官同士の結婚でした。花婿は見目はそこまで良くなくとも、勤勉で誠実な、有能な男。花嫁は儚げに笑う姿が印象的な、物静かでも堅実に物事をこなす、これまた有能な女。誰もが、そんな二人の結婚を祝福していました。似たもの同士が番うことを。だれもが、笑顔で二人の幸せを願いました。そう、誰もが。
 おめでとう。おめでとう。祝う人々の胸に温かい光を灯して、白い花は穏やかな顔で微笑んでいました。彼女の長年の上司であるジャーファルが、見たことも無い程に、穏やかな顔で。例えば、夜明け前の静かな海のように。

 ジャーファルが音もなく椅子に腰掛ける彼女に近寄ると、花嫁はふっと顔を上げました。これは昔からジャーファルには不思議でならないことでした。ジャーファルは確実に気配を断っている筈なのに、彼女は必ず気がつくのです。密偵かと疑った時期もありましたが、もう何年も時を共にする内に、それはジャーファルに限っての、しかも感覚によるものなのだと分かってくるのでした。
 花嫁はジャーファルを視界に捉えると、その穏やかな表情のままふっと目を細めます。それまで彼女の周囲に集まっていた者は、八人将であるジャーファルの登場に遠慮してか気を利かしてか、示し合わせたように散っていきました。

「ジャーファル様、いらしてくださったのですね」
「当然です。結婚おめでとう、
「ありがとうございます」

 誰にも言ったことはありませんでしたが、はにかむように微笑む花嫁を、を――ジャーファルは、少なからず思っていました。それは抑えた表現で、実際には、少なからず、なんてものではなかったのですが。
 生暖かい風が肌を撫でて去ってゆきます。それがの髪に飾られている白い花を揺らすのを見ながら、ジャーファルはにこりと微笑みました。

「……とても、綺麗だ。本当に」

 は、相変わらず微笑んでいました。儚げに。しかし、ともすればそれは、悲しげにも見えました。そんなを見て、ジャーファルは内心歯噛みします。そんな顔をしたいのは此方の方だ。しかしジャーファルは決してそれを面に出しません。
 何故なら、そうしてしまったら最後、とジャーファルがこうして培ってきた関係性が。がやっと築いた関係性が。不安定でもってやっと確立されようとしていたそれが、全て無かったことになってしまうからです。

 はらはらと、風に飛ばされて辺りに撒かれた花弁が地面を駆け巡ってゆきました。

「私は嬉しいのです。こんな風に、王にまで祝福されながら婚儀を迎えられたことが。いつか、私がこうして花嫁衣装を纏う時、そうであって欲しいと……そう思い描いておりましたから」

 喧騒の中、かき消されてしまいそうな声音で。はそう言いながら目を伏せました。花婿は、今は他の人間に祝福の言葉を受けています。
 本当に綺麗だとジャーファルは思いました。全てを過去にすることを決意出来た人。そうして、その過去を語らない人。なんて潔い。きっと、彼女以上に綺麗な人を、もう見ることはないのだろうとも思いました。
 願わくは、私がをその姿にさせてやりたかった。そう思うほどに、白い花嫁姿のは綺麗でした。しかし、同時に彼は思うのです。

「私は、良かったと思っているよ」

 君が、私ではなく、他の男を選んだことを。
 ジャーファルは最後までは言いませんでしたが、知ってます、とは言いました。そうして、少し今までとは違う笑みを見せます。言うのであれば、どうしようもないことを、どうしようもない、と認めてしまったかのような、そんな。

「ずるいですね」
「どちらが?」

 ジャーファルの返答に、深まる笑みが、ふたつ。

 は、ジャーファルを好いていました。しかし、彼女はその感情を決して誰かに明かしたことはありませんでした。ジャーファルと同じように。
 は知っていました。どれほどがジャーファルを好いていても、またジャーファルがを好いていても、結局彼は、ではなく、国のために、我らが王のためにその生涯を捧げるのだろうと。それにもどかしさを感じると同時に、はいつしかそんなジャーファルを愛するようになっていました。
 いえ、最早、いつ、何故、どうやって愛したかなど覚えてはいないのです。そんなことは大した問題ではないのです。
 ただ、愛する感情に返ってくるものがないという、ただひたすら愛を投げかけるだけの関係は、きっと堪えられまい。それが、ある時には分かってしまったのです。いつか破綻してしまう。見返りのない愛は虚しい。等しく愛を返して欲しい。それは幻想だと自覚していても、この先それが起こり得るだろうという事が手に取るように分かってしまうのです。それが分かってしまったから、はこの感情を断ち切ろうと決めました。
 そうして、は、今の花婿を選びました。きっかけは断ち切ろうと思ったからでした。しかし、今は彼からの静かな愛を受けて、彼女もまた、彼を愛し始めていたのです。

「幸せに」

 祝福の賛美が、義務であるが故に。ジャーファルは、彼女の口元の穏やかな笑みを見つめて、瞼をおろします。

「どうか、幸せになってください」

 それがきっと、最善で。最大の、想いの詰まった言葉であると。それ以上言葉を交わさずとも、二人には分かっていました。
 ――幸せにはなれず、幸せにはできないのであれば。

「はい」

 ですから、は目尻からはらはらと涙を落としながら、笑いました。それは誰がどこから見ても、歓喜に震える、美しい花嫁の姿でした。

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