きみがのぞむなら

「私ゲンさんってよくわからない」

 何故そんな言葉が出てきたのか、正直私にもよくわかっていなかった。思わず、という言葉が一番しっくりくるだろうか。言うつもりは無かったものだから、内心苦虫を噛んだ。
 対して、突然そんなことを言われたゲンさんはといえば、普段通り、落ち着いたまま微笑んだだけだった。私の内心を見透かしているかのような微笑み。そういうところ、結構気に食わないと思っているのだけど、それを口にしたことはない。それは同時に彼の美徳の一つでもあるからだ。

「何かありそうで、多分何かあって、でもきっと何もない、そんな気がします」
「抽象的だね」
「一番近いものは掴み所がないって言葉かもしれませんが」

 そうかな、と肩をすくめるゲンさんは、その腹で一体何を考えているのやら。想像するのは私に与えられた自由だ。生産性があるかどうかは兎も角、何かを予め想像しておくことは、悪くないんじゃないかと思っている。その予想が、現実とのずれを生じたとしても。

 私達がいるのは、ミオにある小さな喫茶店。最近では喫茶店そのものの数も減ってきているけど、この私のお気に入りの店はまだまだ頑張っているようだ。品のよい内装に、流れる曲もなかなかどうして趣味がいい。ここにいると気分が落ち着いてくる。だから、あんな言葉をつい零してしまったのかもしれない、と頭の片隅でぼんやりと考えた。そして眼前でコーヒーに手を伸ばしたゲンさんに倣って、私もティーカップを手に取る。

「もうすぐ」
「……なんだい?」

 言おうか言うまいかの逡巡が伝わったのだろうか。ゲンさんは察するのが人一倍上手い。人が一番欲しい言葉を投げて寄越してくれる。だからつい、私も言葉を吐いてしまう。

「冬が来ますけど、ゲンさんはやっぱり鋼鉄島に居続けるんですよね」
「修行だからね」
「寒くないですか」
「それは寒いけど」

 心とか、とは流石に続けられなかった。そんな恥ずかしいことを口に出来るほど私の精神は強くない。

 ……たまに、この人は凍死寸前になっても自分から温まろうとは考えないんじゃないかって思う時がある。相手にはたくさんのものを与えて、そのくせ彼からは求めようとはしない。私はそれを堪らなく、悲しいと思う時がある。私は求められていないのだと実感してしまう。私はこの人にとっての、何者にもなれないのだと。
 手の中の紅茶に映る自分の顔は、なんとも悔しそうな表情をしていた。

「寂しいのかい」

 と、ゲンさんから声がかかる。はっとして顔を上げれば、珍しいことにやたら嬉しそうな、悪くいえば意地の悪そうな笑みを浮かべている。からかわれた、そう思った瞬間、私は羞恥よりも怒りが湧いていた。私は誰かのマリオネットになるつもりはないのだ。それがゲンさんであっても、手のひらでいいように転がされるのは御免だ。

「……そうだって言ったら、どうするんですか」
「ここに居るよ」
「何でですか」

 くつり、と笑うのが分かった。矢張りこの人は気に食わない。酷く心がかき乱される。
 ゲンさんは強い人だ。バトルセンスもいい。顔もいい。ポケモンとの絆も深い。年上だし、大人だと思う。だけど、だからこそ私なんかと話すような人じゃないと思うのだ。私はバトルなんかしないし顔も普通だし、自分で言うのもどうかと思うが子供だ。それなのにいい大人が何故私なんかの誘いにほいほい乗っかって、今日みたいに一緒にお茶なんてしているんだ。……それは期待してくれと言っているようなものじゃないのか。

 私がゲンさんと出会ったのは。船乗りであるおじさんの手伝いをしていた船に、ゲンさんが乗り合わせていたのが始めだ。船に乗っている人と会話するのが楽しくて、私はよくおじさんの船に乗り込む。海に揺られるのは嫌いじゃないし、心地よい。あのゆらゆらと心許ない感覚が嫌いだという人も居るが、私は揺りかごの中にいるような安心を覚えるのだ。
 彼はあの頃も掴み所のない人で、私は声を掛けるのを躊躇った記憶がある。誰もを受け入れる一方で一枚壁を作り上げ、そこから先に踏み入れることを拒む姿勢。それに声を掛けるのは些か、勇気のいるものだった。
 今はどうだろうか。矢張り一枚壁がある感覚は拭えない。一線を引かれていて、彼はこの先に入ることを嫌う。そのくせに私の引いた線引きを軽々と踏み越えようとしてみせるこの人は、一体私に何がしたいのか。……それとももっと沢山の月日をゲンさんと過ごせば、わかるようになるのだろうか。
 それでも、この人と話しているのは、どこか覚束ない船の上で揺られているのと、同じ様な気がするのだ。

「君が望むならいつだって居るんだけどね」
「そうやって何人の女の人引っ掛けたんですか」
「心外だな」

 全く、こんな紳士そうでいて度々口説いてくる理由が知れない。でも理由なんてないのかもしれない、何せ彼はそういう人だ。最初にも言ったでしょう、わからないんだって。

「じゃあ、ずっと一緒に居てって言ったら、居てくれるんですか」

 馬鹿らしい問答だ、と思いながらも問いを投げる。ぐらぐら、ゆらゆら、揺れる海の上で。一体彼が何を返すのか。

「さっきも言っただろう」


 きみがのぞむならいつだってともにあろう


 斯くして船は横転するのだ。乗組員はそのまま、かの海に溺れゆく。

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